「悪口を言わない」と決めると自分が楽になる

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誰も好き好んで人の悪口を言いたいわけではないと思います。でも知らず口から文句や悪口が出てしまっていることがある。なぜか。

例えば目の前に明らかにー誰からみても迷惑だろうと”自分には思える”ー理不尽なことをしている人、または要求してくる人がいるとします。その人に対して怒りを覚えるのは簡単です。そしてその人のことを他所で悪く言うのもとても簡単。

でも実のところ、その怒りは自分の心が反応して対抗しているにすぎません。

それは自分の何かが侵害されているいう信念が深層心理にあるからです。自分の時間が奪われた、煩わされた、自分の価値を貶められた、軽んじられた、愛してくれない、存在を認めてもらえない、自分の安全領域を侵害された、自分が不利益を被った、などです。

嫌な人 思う心は 我が心 思う心で 己苦しむ

長尾弘

さて、それは本当に奪われたのでしょうか?侵害されたのでしょうか。

いいえ、それはそう自分が思い込んだ結果の反応にすぎません。自分に奪われたくない、侵害されたくないと思っている種があるからにすぎません。その種が無かったらどうでしょう。

この場合、目の前で理不尽な人が怒鳴っていようと、侵害されないよう守らなければいけないものが内側に無いわけですから、自分には何も響きません。石が投げられ一瞬水面に波紋が広がってもすぐ消えていくようなもの。

例えば家族に折り合いのつかない対立してしまう相手がいるとします。その人のあそこが悪い、ここが悪いと言っても、それを裏返せば「その人に穏やかで、親切で、優しくて、私を煩わせず、こうこう、こういう人であってほしい」と自分の都合の良い人間であって欲しいと言っているのと同じです。言ってみれば他人を変えようとしている自分側の問題ですね。

この人はこうあるべきだ、こうだったら本人も周りも幸せなのに。これもおせっかいです。その人はその人の背景、理由があってそうなっているのです。その人の人生を通しての学び。形はどうであれその人が蒔いた種はその人に戻るので、そういうその人なりの学びをしているわけです。

大切なのは「他人を変えることはできない」ということ。それなら、自分の反応を変えたらいい。いちいち反応してしまう自分の中の種をなくしたらいい。

自分の中の何をも他者が侵害することはできないと知ればいい。自分の時間が奪われたのではなく自分の時間を人様の役に立てられたんだ、自分の価値を貶められたのではなく誰の評価も必要としない自分の存在を再認識させてもらえたんだ、自分の安全領域を侵害されたのではなく、自分の寛容心を育てられたのだ、自分の器が広がり許容範囲が広められたのだ、愛されるのを求めるよりこちらから愛そう、と置き換えたらいい。

どうして、相手が悪いのにこちらが努力しなければいけないのかと思うかもしれません。でもそうではない。その方が自分が楽だからです。

相手は何か迷惑なことをしたり怒鳴り散らしても、次の瞬間に本人はそれを忘れてころっとしているかもしれない。なのに怒鳴られたこちらが、ずっと怒りや恨みの思いをずっと抱えていたら、相手よりよっぽどネガティブな氣を体内に抱え込んで自分の健康を脅かしてしまう。

怒りこそ 己滅ぼす 鉄の錆 人の酸にて 己滅びゆく

長尾弘

置き換えがなかなかうまく出来ない場合は、まずは「人の悪口は言わない」と決めるだけで楽になります。

そう決めてしまえば、誰かに言うまで内側に抱えて覚えている必要がない。言わないのだから、さっさと捨ててしまえばいい。手放すのが上手になります。

何度も事あるごとに思い出して怒りを覚えていては、自分が損です。相手はなんとも思わず元気に奔放に生きてるかもしれないのに、こっちだけ怒っていてはこれはあべこべで損です。

迷惑や不利益を受けていて腹が立つのにすぐそれを手放し悪口も言わないのなら、これは立派に天に功徳を積んでいます。一見損しているようで長い一生、もしくは永遠の霊的な視野からいえば、今回は随分徳を積んでる、貯金が溜まってきてるぞと思えばいい。

他人からの負を受けずいつも誰にでも徳で返すよう生きられれば、結果的にこんなに自分が楽なのかと驚かれるかと思います。

穏やかな水面。このようにあれたら随分健康で楽だろうと思います。

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和花二胡奏者&ヒーリング整体&アーティスト
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