人は自分の中にあるものを他者の中に見出す
間違いは誰でもする。そこから反省して教訓を得られたならそれはそれで必要だったと言える。
一方で、人の間違いを探しては責める人も世の中にはいる。
確かにこちらに落ち度がある場合もあるけれど、さして問題ないことで理不尽に責められることもある。
でもそれを真に受けていては心がもたない。しんどいよね。
そんな時どうしたらよいか。
まず一策はこれ。
ポジティブシンキングでいく。
フィードバックをもらえたんだと思って冷静に自分を振り返ってみる。もしかしたら自分でも気づかない非があったかもしれない。
それでも不当だ、理不尽だと感じるなら、次はこれ。
「私はあなたの鏡」と思って温かい目で愛でもって受け流す
まず、その責めてきた人がそう感じただけで、他の人はそう感じないかもしれないという視点が大切。
ようするに、彼らは自分の価値観で人を判断しているだけだと知ること。
人は見たいものを見る。
人の短所が見たければそればかり見える。
人の長所が見たければそればかり見える。
でもどちらか100%の人なんて存在しないよね。
ということは人は見たい方、気になる方を見ているだけ。
私の中の一部分をみて
嫌な人と思う人がいるかもしれない。
素敵な人と思う人がいるかもしれない。
要領悪いと思う人がいるかもしれない。
思慮深いと思う人がいるかもしれない。
意地悪と思う人がいるかもしれない。
やさしいと思う人がいるかもしれない。
仕事が早いと思う人がいるかもしれない。
仕事が雑だと思う人がいるかもしれない。
仕事が遅いと思う人がいるかもしれない。
仕事が丁寧と思う人がいるかもしれない。
でも私は全部の面をもっていて、私の中のどの部分に光をあてて見るかは相手次第。
そして大切なのは、たいてい自分の目に入って心がざわつくことは、自分が持っているものだということ。
自分勝手な人を嫌だと感じるのは、自分の中の自分勝手な部分を嫌だと思っているから、それを持っている人に嫌悪感をいだく。
だったら自分の短所や失敗ばかりみつけて攻めてくる人はそれを持っているということになる。
私達は相手にとって鏡なんだよね。
たとえば仕事上でのちょっとしたミスを見つけては責めてくる人は、自分のミスを見つけた時に自分が許せなくなる。
中には人に厳しく自分に優しい人もいるけれど、それは顕在意識の話で潜在意識では人を責める人は自分も責める。
そういうからくりを知らず、自分を見つめられていなくて、認められていなくて彼らはあがいているとわかったらどう?
そう知ってしまうと、こちらが気に病むことないよね。むしろ温かい目で見守ってあげれるんじゃないかしら。
だから、「愛でもって受け流す」。
彼らもいつか学んで気づく。
自分が痛い目をみながら学んだように。
・・・って偉そうに書いているけど、私もけっこう自分のペース乱されて人にいらっとする時がある。
で、案の定、自分は人に迷惑かけまいと頑張っちゃってる。そして疲れる。
力を抜いて自分なりのペースでいいと自分に許可がだせるなら、人が人のペースですることに寛容になれるだろうなと思う。
早速自分に許可しよっと!! だらだら万歳(笑)
投稿者プロフィール
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・ヒーリング整体や二胡演奏、アートを通して心と身体の健康を応援します。
・高齢者施設等へのボランティアの訪問演奏承っております。
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