カルマという名の神の愛
カルマは「目には目を」のような罰ではないことをご存知ですか?
自分のしたことが回り巡って自分に返ってくる。時には前世の所業で今世罪滅ぼしで苦しむ。そういう怖いイメージをお持ちですか?「家系のカルマ」で自分とは関係ないように思えることで苦しむなんて理不尽な感じもするかもしれません。
カルマは罰ではない
カルマの法則、因果の法則、原因と結果の法則、呼び名はいくつかありますが霊的機構としてこういう法則があるのは事実です。
でもこれらは罰としての機能ではなく、実は神様の愛です。私達の成長のための法則です。
私達は自分で経験しないとわからないことが多いので、自らの過ちに気づかせることを意図した天の愛です。
自分のしたことが相手にどう影響したのか、役割を交替して経験するわけです。痛みや苦しみが伴う場合もそれは魂の学びのため、そうであるから私達は魂が磨かれ成長できます。愛の心が育まれていく。
誰かに親切にしたなら見返りなんて求めなくても、それは天に善行を、徳を貯金しています。それはあなたの霊性が身につけたものです。施したなら施されます。与えた愛は愛で戻ってきます。
故郷(霊界)に帰ったとき貯金の程度で霊界の落ち着き先が決まります。携われる仕事も身につけた霊性の程度に比例します。
カルマは善行も悪行も全部自分に返るから良い指標になる
それを今の自分の進歩のバロメーターにするとよいです。何事か起こったら何を学ぶために起こってるか考えてみてから対処する。
良いこともそうでないことも神様からの愛だと思って霊性進化の糧にしてしまいましょう。
日々のあらゆるできごとに感謝できたら人生何がおこっても幸せでいられる。
そんな人生を送りたいですね。
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・ヒーリング整体や二胡演奏、アートを通して心と身体の健康を応援します。
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