人と比べて優劣つけて苦しくなる習慣を捨てる3つの方法

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形も色も違う瓶

人と比べて楽しいことなどない。形も色も違っていて当たり前。

誰かと自分を比べて勝った負けたとやっていると、それは永遠に勝てない戦いだ。

なぜなら自分より劣っているように感じる人もたくさんいるかもしれないが、自分より優れている人もごまんといるから。ずっと誰よりも勝ち、誰よりも優れていることなど不可能なのでそれを続けている限り、劣等感と敗北感がもれなくお友達だ。

つい比べてしまう

そんなことやってると永遠に気が休まらない。でもそう思っても比べてしまうのが人間の性。

優劣つけて、誰かに勝つと自分が正しくて価値ある人間である気がして、そこに存在意義を求めてしまったりするイキモノなのかもね。

私もつい、いつも友達に囲まれて慕われている人をみると羨ましくなり、自分がつまらない人間に思えてきたり、自分のやりたいことをできている人を見ると自分が力不足で無意味に感じて消沈ってことをよく繰り返してました。

でもさ。

勝つといいことあるのかな?

負けるとそんなに困るかな?

誰かに勝ってもその上がいるし、負けたってそれで私の人生おじゃんになるわけでもない。
勝ち負けなんてそもそも意味があるのだろうか?

どうありたいのか

そもそも誰もがある面では劣っていて、ある面では優れてたりする。一長一短あるものだ。
自分がありたい自分であれば、それが誰かより劣ってたって何も関係ないよね。
だって自分はありたい自分で幸せなんだから。

結局のところ『どうありたいか』が大切なのかも。

「ありたい自分」になって比べるのを止める方法

1. 他人の成功や良いところを認めてほめる。

人のよ良いところを見つけて褒めていると、結果自分のよいところを見つけて褒めることになる。なぜなら反対に人を責めるときは自分も実は同じようなモノを抱えていて、自分自身も同時に責めていることがほとんどだから。人を褒めていると自分の良いところも認められるようになる。

2. 装うのをやめる

人より優れていようと思うとつい自分をよく見せようと装ってしまいます。装うことをやめていつも素直で飾らない自分でいれば、比べる必要性さえ忘れるでしょう。

3. 他人の作った基準、世の中の標準ではなく自分の基準に従う

これは決して社会のルールを守らなくてもいいという意味じゃない。
他人が作った基準に当てはまらないからといって自分を駄目人間に思う必要はないということ。

他人が作った成功イメージ、失敗イメージを自分の中の成功・失敗基準にする必要はないということ。

例えば自分で成功と思っていても世の中的な成功基準には達していないかもしれないけど自分が幸せならいいよね。
自分で失敗と思っていても、世の中的には十分すぎるレベルで、単に自分の中のハードルが高いだけの時もあるよね。

だったら比べることに意味ないじゃん。

結局、突き詰めると比べることに意味を見いださなくなれば比べなくなるってことかもね。

ああ、自分で言って耳が痛いです。

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和花二胡奏者&ヒーリング整体&アーティスト
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