同じ地上にいても見える世界はそれぞれ
同じ場所にいれば同じ世界に生きていると果たしていえるだろうか?
実のところ同じ場所で生活していても同じものが見えているとは限らない。
なぜなら私達はそれぞれの経験からくる色眼鏡、いわばフィルターを通して世界を見ているから。
性善説を信じ、常に希望をもって周りを見ている人はそういう明るい面が視界に入る。
楽天的な人にとっては問題が起こってもなんとかなると思えるしその先の光が見える。
問題や環境に振り回されることなく、それは何を学ばせるために起こったのだろうと考えられる。
その結果その高い波動に共鳴する出来事を引き寄せる。同等の波動の人が集まるので、その人をとりまく環境はどんどん好転していく。
逆に疑い深く否定的な色眼鏡をもっていると、同じ場面でも否定的な面ばかりが目につく。
悲観的な人にとっては問題が起こると、心配した通りの現実にうんざりし、ますます悲観的な面ばかりが視界に入る。
問題や環境に振り回され、そしてそれは周りや環境のせいだと責める。
その結果その低い波動に共鳴する出来事を引き寄せる。やはり同等の波動の人が集まるので、環境は不満の、そして心配の多いものとなっていく。
結局のところ、同じ大地に足をつけ同じ場所に立っていても、世界は同じようには見えていない。同じように体験してもいない。
その人のたどり着いた意識レベルによって、生きてる世界も、体験している世界も別なのだ。
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・ヒーリング整体や二胡演奏、アートを通して心と身体の健康を応援します。
・高齢者施設等へのボランティアの訪問演奏承っております。
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