心配を信頼に置き換える
心配することは必ずしも愛の表現ではない
愛してるから心配するのではない
相手の持つ力を信じきれていないから
自分の安心範囲に相手をおいておきたい
これは愛情のようで一つの執着
心配する側の問題で相手の足を引っ張ってしまうこともある
思ったことが現実になる
心配する代わりに相手の輝く姿を信じて思い描こう
心配の念を向けられた相手は嬉しくない
どうして私のことを信用できないのかと
信頼の念を向けられた相手は嬉しい
それを誇りに糧に立派に輝く
失敗さえもその人の人生の学びと思い
どんな結果でも相手は最終的には輝くと信頼しよう
(補記)
私は心配という名のもとにいつも頭ごなしに反対する親に何度も反発した。悲しくもなった。
でも親心なんだろうし、親の愛だろうけどと何度も自分に言い聞かせた。
そういえば以前に、「最近久しく『怒り』という感情を覚えなくなったな」と思って(慢心)いた頃に、家族に対して怒り狂って叫びたいのに怒りすぎて心は叫んでるのに声にならずに苦しんでるところで起きるという夢を立て続けに2回見た。
愛情表現のような仮面をした『心配』がよほど私は腹に据えかねていたらしい。今は『心配』も一つの愛の形と思えるようになったけど、それまでけっこう格闘してきたよなぁって思い出した。どうして欲しかったのか。それを思い出して書いてみました。
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・ヒーリング整体や二胡演奏、アートを通して心と身体の健康を応援します。
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