天の采配。ここぞという時はかならず助けが入る不思議-トルコ家族編②
続きです。
トルコ編①はこちらから
足が痛いので荷物抱えての移動時はしばらくタクシーを使いました。
そんな時でした。
別の海沿いの町で、海が綺麗だったので小さな遊覧船での1時間ほどのツアーに参加しました。
甲板で景色を楽しんでいると、「一人旅?」と少し年下位のトルコ人の男の子が声をかけてきました。
「そうだよ」と返すと「トルコ語しゃべるんだ!」と驚きと、とても嬉しそうな反応。
実はトルコは1ヶ月ほどかける予定だったので、シリアを旅している途中から、「地球の歩き方」に載っている程度だけど宿で夜などに勉強してました。
面白いことに、トルコ語の文法は日本語によく似ており、語順もほぼ一緒。日本語の「は、が、も、へ、を」などの助詞が入るところまで似ているのであとは単語力でなんとかなる。単語はイスラム国なので語源がアラビア語のものが多く、エジプトでアラビア語を習ってたのでなんとか片言が通じたのです。
さて、例の彼。トルコは親日とは聞いていたけど、日本人だとわかるとさらに大喜び。「この日本人トルコ語話すよ!」って何人か連れっぽい人達を呼んできた。
聞いてみると彼らはトルコ人の夫婦、奥さんの弟、従兄弟の4人グループで国内旅行中なのだそう。
どこを旅する予定か聞かれ計画を答えると、なにか4人でひそひそ相談。
「 ? 」と思っているとご夫婦からこんなお誘いが。
「少し私達の予定してなかった場所もあるけれど似たようなルートだからあなたに合わせてあげる。だから一緒に旅行しない?」
本当にびっくりしました。
もちろん安全も考えなきゃだけど、いかにも優しくフレンドリーそうなトルコ人一家。まったく大丈夫そう。
足のことがあって、移動がとてもつらかった矢先のことでこれは本当に神様の助け船。本当にありがたく、お誘いを受けることにしました。
それからというもの重いバックパックは彼らの車の荷台へぽいっ。(ラッキー☆)
助手席に載せていただいて楽しく楽々移動。足の状態もおかげでどんどん良くなっていきました。
旅のコースはトルコ南部から北西のイスタンブールまで海沿いの遺跡や観光地を巡っていくルート。
道中はだいたい私が泊まってきたような安宿に宿泊。中には道沿いの茶屋で寝袋とお店に借りた毛布で星を見ながらの野宿も。一人じゃ流石に屋外は危ないけど家族と一緒だと安心。楽しーい☆
途中で皆と川遊びも。景観の良い谷で、水流の少ない川の浅瀬を川登りして楽しんだり。
カッパドキアやエフェソスの遺跡など、私が絶対見たいと決めていた場所は、快く寄ってくれて一緒に観光を楽しみました。
本当に本当に楽しかった。ありがたかった。
今思うとあのタイミングであの素敵な家族に拾われたのは不思議だなと。
天はちゃんと傍にいて助けてくれるのね。
その家族はマルマラ海の東海岸のヤロワという町に住んでました。
イスタンブールから車で2時間ほど、湾をはさんで向かいあたりの町。ご夫婦はマンモスアパート郡の一画に住んでました。
ご好意に甘えて誘われるままにご自宅に滞在。
旦那さんと畑を一緒に耕したり、奥さんと一緒に会社に出社して社内のカフェでお茶したり。離れて住んでる弟君や従兄弟が遊びにきて一緒にショッピングに行ったり。ご夫婦には旅行中は預けていたまだ小さな6ヶ月くらいの赤ちゃんがいてあやしたり。家庭料理教えてもらったり。
私がそろそろ旅に戻ると言うたびに引き止められ(笑)ずるずると居座り、楽しい時間はあっという間で気づけば1週間ほど。
でも、とうとう旅に戻ることに。その頃には足は復活。充電完了。元気一杯になってました。
家族と別れる時は本当につらくて泣きました。
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その後、彼らから届いた手紙には笑いました。
だって彼らとは身振り手振りのジェスチャーと片言のトルコ語で会話してたから。手紙は当然トルコ語で書かれており、一緒に小さな『英語-トルコ語辞書』が同封されてました。
これで、辞書引きながらなんとか読んでねってことね(笑)
返事は弟君が少し英語ができたので英語で書かせてもらいました。
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でもこの話はこの楽しかった思い出だけでは終わらなかったんです。
帰国して2年後のある日、NHK報道ニュースで悲報が飛び込んできました。
トルコ編③へつづく
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