知識は咀嚼し選択する〜必要なら潔く捨てることで本当に必要なものが残る
ネット時代の今は情報が溢れ、何だってすぐに調べられて便利になりましたよね。一方で情報が多すぎてどれが正しいかわからなくなる時がある。
まったく相反する情報もありますよね。例えばコーヒーを巡って「健康に良いvs.悪い」「死亡リスクを高めるvs.リスクを下げる」など研究結果もばらばら。
物事はどの側面に焦点を当てるかで答えが変わってきて当然だし、当たり前ですが、物の見方は人によって違う。だから情報、知識は何でもそのまま鵜呑みにするのではなく咀嚼と選択が必要で、その結果情報をどう受け取るかは自分の問題ですね。コーヒーは健康に悪いからと飲まないのも自由だし、好きなら健康にいいと思って美味しくいただけばいい。
また、学んだ通りにしかできないのも勿体無いですね。知識にとらわれるのじゃ意味がない。たとえば音楽だって楽譜のとおりに弾けばよいかというとそれだけじゃ美しさがない。楽譜の意図を読み取って強弱つけたり感情を乗せたり、装飾音をつけたりして色が生まれる。
囲碁の世界では、「定石は覚えて忘れよ」という有名な格言があります。定石は「最善とされる一連の応手の形」のことですが、石の働きを学ぶ基礎なので初心者はまず定石を学びます。でもその通りに打ってばかりでは上達しない。相手が定石どおりに打ってくるとは限らないのだから。
まず定石でなぜそのように打つのが最善とされているのか、そのエッセンスを学んだら一旦忘れる。先入観を持たず、頭を白紙に戻して臨機応変に対応することが大切、という教えです。囲碁に限らず全てに当てはめられますね。
学べ、そして忘れろ。
ーマイルス・デイヴィス(ミュージシャン・作曲家)
博識だからといって「教養ある人」とは言えない。学んで忘れてを繰り返し必要なものが知識が知恵に、そして血になって肉になって身につけられた人が「教養ある人」ですね。
そうそう、こんな言葉もあありました。
知識はよくしゃべり、知恵はよく聴く。
ージミ・ヘンドリックス(ミュージシャン)
得た知識を話すのもよいけど人の話をちゃんと聞いたほうが知恵が身につくよってことでしょうか。耳が痛いです。好きな話はつい止まらずマシンガントークになりがちな私。会話のキャッチボールを忘れちゃう時があるんですよ。
教訓にします。
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・ヒーリング整体や二胡演奏、アートを通して心と身体の健康を応援します。
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