長尾弘先生プロフィール

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太陽の光

人々に健康で幸せに生きていただくために、そして心軽く、魂意識をもって生きていただくために人生をヒーリングに捧げた長尾弘先生のご紹介です。

長尾 弘(ながお ひろむ)経歴 (1931-2007)

1931年

大阪郊外・国分で農家の次男として生まれる。

3歳~5歳の頃は、空飛ぶ蝶やトンボ、カエルを意のままにしたり、イタチやスズメと遊んだりする不思議な子供だった。

成長と共に自我が芽生え、やがて不思議な力は次第に失われていった。

幼い頃から家業の農業を手伝う傍ら、父からは無償奉仕の実践を、母からは徹底した布施の精神を学ぶ。

こうした家庭環境の影響で人様には徹底して奉仕し施すものと自然に学ぶ。

1947年

16歳から3年ほど国内航路の船員として働き、下船後は染物工場に勤める。

26歳の時に独立して織物業(毛布の製造・販売)を創業。

長年にわたって地域社会への奉仕や孤児院への布施を実践し、事業の利益は福祉という形で多くを社会に還元する。

1970年

ふとした事がきっかけで近所のお婆さんの膝の骨の骨折が手を当てただけで元通りに完治したことからその情報が口コミで伝わる。

この頃から幼い頃に宿った不思議な力が再び蘇り、常識を超えた癒しを始めるようになる。

1974年

「釈迦・イエスの教えの原点に帰れ」と説く高橋信次師とのご縁にふれ正法に目覚める。

これを機に高橋先生の講演の中から「足ることを知る」「無償の愛の実践」ということの大切さを改めて知ることになる。

1977年

「足ることを知る」ため、織物業を十分の一に縮小。自らの内奥と深く向き合うために入山、禅定を行う。

7日間ほとんど飲まず食わずの反省を行い、心の垢を洗い流し、苦しみの末に宇宙即我を体験し覚者となる。

1978年

47歳で関西鍼灸専門学校に入学。

この頃には既に難病奇病の人々を救い、数々の奇跡的癒しをされていたので、在学中から教師陣に「長尾先生」と呼ばれて慕われていたという。

1980年

針灸の国家試験に合格。1982年に織物業を閉鎖。

治療家の道に進むと共に『浄心庵』を開院。関西・四国各地から講演の依頼を受けるようになる。

1987年

東京公演を契機にして手弁当で日本各地に赴いて講演と癒しを行い、この『愛の実践』の噂は急速に日本各地に拡がる。

人々の幸せを願って身を犠牲にし、一年365日、一日の休みもなく無償の行いをする自身のことを“愚か者”と称する。

1989年

ドイツを皮切りに、世界各国で癒しの旅を行う。

1991年

イタリア・ミラノにてミラノ名誉市民賞を受賞。

1994年

インド・カルカッタにてマザー・テレサ氏より招聘を受けて対談。大統領官邸にも招待される。

1999年

ブラジル・サンパウロ市より最高文化功労十字賞を受賞。
日本政府より紺綬褒章を10回受章。
晩年は癒しの旅の傍ら、書道家として確立される。

2007年10月25日 ご逝去

著書:
講演集『愚か者の独り言』Ⅰ~Ⅲ(柳原書店)
『心経の解説』上・下(たま出版)
『真理を求める愚か者の独り言』(たま出版)
『思いの中に生きる』(文芸社) など

お花と暖かい光

投稿者プロフィール

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和花二胡奏者&ヒーリング整体&アーティスト
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